信心を仮にイコールで結ぶとすれば、それは広布への責任ということです。
本当の信心とは責任を自覚してるかどうかで決まるのです。
一生懸命勤行する。これも当然信心の行動です。しかし、日蓮大聖人の御遺命である広宣流布という観点で見れば、信心とは自行化であり、人々を根本的に救っていくという責任にある。大聖人は一切衆生を救う責任感をもって戦われた。
学会の大聖人直結の信心には、この民衆への責任の心がつながり、脈動しているのです。
行学の二道に邁進することこそが、信仰の勝利、生活の勝利、家庭の勝利、人生への勝利への大道!