


「信心で勝つ!」――そう思い定めれば、勇気がみなぎり、智慧が湧き、無敵の突破力がほとばしる。

その時病気が治るだけではなく、全快したときには、以前よりも健康になるのが、変毒為薬の妙法の功徳である。

彼が「ちょっと題目をあげようか」といえば、一時間や二時間は動かない。いかなる戦いの時も「祈れば必ず開ける! 必ず勝つ!」と、祈りに祈り、勝ち抜いてきた。

仏法では、全宇宙を「一つの巨大な生命」と見る。個々の生命はその大海の波のようなものです。波が盛り上がれば「生」。波が宇宙に溶け込めば「死」。生も死も、宇宙と一体です。

広宣流布を誓願し、唱題に励む時、自身の胸中に、地涌の菩薩の大生命が涌現し、日蓮大聖人の御命が脈動して、己心の仏界が開かれるのである。そこに、境涯革命があり、宿命の劇的な転換も可能になるのだ。

この悩みを解決したい、あの願いをかなえたいと、本気になって信心の実践に励めば、いままでその人の生命を弱く濁らせていた第六天の魔王が驚いて、低い迷いの境涯から離れさせまいと反発するのは当然です。

御本尊に題目を唱え、自己の生命が即南無妙法蓮華経であると悟れば、それはすでに仏界の境地に入っているわけであります、

しかし、何年信心しようと、凡夫の浅はかな眼で、「もう宿業で悩むことはない」などと、きめつけることはできない。
