


自分自身の生命こそ 宇宙の一切の宝を集めた 功徳聚である。 宇宙の尊極の当体が わが生命なのだ。

勤行で経を読むのも、仏を賛嘆申し上げることであり、それはそのまま自分自身の仏界を最高に賛嘆し、強めていることになる。

すなわち大聖人の御書を精読することによって、毎日、行の助けをかりて信仰の根本義が理解され、理解することによって、信心がまた、ますます深くなり、

ところが死物狂いで頑張っていると、次々に自分になかった力が出てくる。いや、持っているのに出さなかった力が湧いてくるのである。

疑いがあり形式的であればその唱題は百万遍の題目を唱えたからといって も境涯が開くものではない。自分自身の発心で一つの目標をかかげて 唱題した場合には絶対に開ける。

露を大海に入れ、塵を大地に埋めるように、自らが、妙法という大宇宙の生命に融合していけば、永遠の生命を生きることになる。 詮ずるところは、末法の法華経、すなわち、御本尊を受持し切っていきなさいとの仰せです。

いかなる苦難にも怯えない。その勇気を生み出す根源の力が、広宣流布の誓願です。誓願に生きれば、どのような障魔が出来しても、悠然たる王者の魂が光ります

細胞レベルで見たとき、人間の体は二~三週間に一度死ぬ。 人間の体は七年で骨の髄まで生まれ変わる。
