池田先生ご指導

しかし、何年信心しようと、凡夫の浅はかな眼で、「もう宿業で悩むことはない」などと、きめつけることはできない。

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信心していて、大きな悩みに直面すると、信心しているのになぜと不審に思う場合がある。入信して三十年を過ぎて、思いがけない難病にかかった友は「もう宿業から逃れられたと思っていたのに」と嘆いていた。
しかし、何年信心しようと、凡夫の浅はかな眼で、「もう宿業で悩むことはない」などと、きめつけることはできない。戸田第二代会長は、自分の生命のなかにあるもの(宿業)が出てくるだけだ。ないものは出てはこないぞとよくいわれていた。
私たち凡夫は、自らにどんな宿業があるかを、あらかじめ知ることはできない。難や悩みに直面した時、そしてその原因が現世に見当たらない時、初めてそれを知ることができるのである。
したがって、いくつかの悩みや難を乗り越えたからといって、それで宿業との戦いが終わったと決めつけるのは早計である。
私たちの一生は、最後まで、宿業との戦いの連続であると覚悟すべきではないだろうか。大事なことは、難や悩みに直面するたびに、信心を奮い起こして乗り越えていけば、一生のうちに、必ず成仏という崩れない幸福境涯に立つことができるということである。