


彼は、御本尊に頬をすりよせるようにして、一字一字たどっていった。たしかに、このとおりだ。まちがいない。まったく、あの時のとおりだ。

こっちには信心があるからといって、手をこまねいていると、そこに油断がおきるのだ。

「勇気」と「臆病」の差は、微妙である。紙一重の差といってもよい。 たった一言の励ましによって、気力が倍加し、勇気が漲ることは、実に多い。

『さあ、来い! 負けてたまるものか』との大覚悟で立ち向かえば、魔は退散する。何があっても、吹っ飛ばしていけ!

無明に覆われた生命は、自身の生命をよく知らないために、煩悩を制御する手だても知らず、煩悩に振り回されてしまうばかりで、結果として不幸な人生を歩むことになるのです。

策や方法で解決した場合は、また同じ問題で、悩むようになる。信心で解決した時こそ、宿命転換である。

「信心の強さによって、諸天が守る強さが決まる」と。 信心している人間が「大将軍」になれば、その家来である諸天善神は、元気一杯に働く。

行き詰まりを感じたならば、大信力を奮い起こして、自分の弱い心に挑み、それを乗り越え、境涯を開いていくことだ。
