池田先生ご指導

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すべてが幸福の光に包まれた世界。不幸などは存在しない―それが寂光土である。生命は無上の喜びに包まれて、「楽しいな」「うれしいな」という最高の境涯。妙法のために生きぬき、亡くなった方の生命は、必ずこうした境涯となって輝いていくのである。

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広布へ勇猛精進する人の題目は、たとえ一遍であっても、何の目的もなく、何の行動もない千遍、万遍の題目よりも、はるかに功徳があり、はるかに力がある。

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御本尊の前で勤行するときは、日蓮大聖人の御前にいると同じことなのです。かりにも、だらしない態度であってはならん。居眠りしたり、欠伸をしたりするような勤行では、決してなりませぬ。

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大聖人は同志間で悪口を言い合うことを厳しく戒められている。「不本意なことがあっても、見ず、聞かず、言わずで仲良くしていきなさい」(御書278ページ、通解)

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卑怯な「いじめ」に負けてはならない。堂々と、言い返し、敢然と相手の悪を責めていきなさい。または、賢明に、よき友だちをつくって、団結することです。

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それなのに、すぐに悲観し、弱気になるのは信仰ではない。 そういう「弱い心」だから、苦しんでしまう。 永遠の大法則であるゆえに、勝つに決まっている!幸福になるに決まっている!楽しい人生になるに決まっている!

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『信心即生活』『仏法即社会』という現実の場で、勝ったのか、負けたのか。幸福になったのか、不幸になったのか――。その厳しき結果主義の世界、現実の審判の世界で、勝ち抜いていくのが信心である」

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大切な人が今信心しなくても。祈ることです。断固たる決意をこめて、御本尊に祈ることです。 祈りに勝るものはありません。これは理屈ではない。

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信心の極意は、何があっても御本尊に向かい、題目を唱え抜いていくことしかありません。 この姿勢を貫き通していくことが、〝御本尊根本〟の信心であり、それが正心なんです。

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一念が変われば、自分が変わる。自分が変われば、環境が変わり、世界が変わる。この大変革の根源をたずねれば、御本尊に向かう自分自身の「祈り」の革命的深化にほかならない。

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