
池田先生ご指導


ゆえに、いくら御本尊を受持しても、信心がなければ無益であるという道理がここでわかる。御本尊があり、御書があっても、また励ましの同志がいても、信心がなければ、功徳の明かりはともらない。

自分自身の誓願の堅固な一念が、諸天善神の誓願の働きを呼び起こすのです。大聖人は一貫して、願い叶えていくためには強盛な信心こそ肝要となることを強調されています。

業の泥の堆積によって、妙法という無垢の黄金の生命はすっかりおおわれ、かくれて見えないが、奥底に実在していることは変わりない。

信ずるとは疑わないということで、どうすれば疑わないかといえば、自分が体験したことは疑うことはできません。体験をつかむためには、決めて祈って動く以外にありません。

「信心をしてきたおかげで、こんなにも健康になりました」。私のもとには日々、こういう声が、大勢の方から寄せられる。何よりもうれしい。

誠実に友に語りかければ、鏡の如く自分の心も元気に豊かになる。声を惜しまず、希望の言葉、勇気の言葉を広げよう!

十年先に想像もつかない実証ができる。今の何十倍何百倍の革命ができると確信してもらいたい。想像もつかない功徳を受けます。

自分が、どう祈り、どう戦っているか、どう行動してきたかは、自身の生命に厳然と刻み残されている。
