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池田先生ご指導

御本尊への祈りこそ、信心の根本である。それを人びとに教えるための組織であり、学会活動である。

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池田先生ご指導

御本尊を受持する功徳は、凡智をもって測り知ることができない。浅はかな信心で、凡夫の智慧で、これぐらいのものか、などと思っては大間違いである。

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池田先生ご指導

ナポレオンは言った。「環境がなんだって? 環境は、私自身がつくるものだ」ーー環境のせいにしないで、自分が満足できる環境をつくろう、という決意です。

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池田先生ご指導

妙法を唱えれば、ちょうど篭の中の鳥が空とぶ鳥の鳴き声を聞いて外に出たく思うように、自身の仏性がその音声に触発されて、顕われてくるし、その姿に呼応して、梵天・帝釈、さらには三世十方の仏菩薩の仏性も発動してくるのです。

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池田先生ご指導

…対話も、結論するに、御本尊への勤行・唱題に導くことにある。

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池田先生ご指導

ベテランでも、こちらに生命の躍動がないと、相手に生命の波動を与えられない。話しは立派でも、ドンと相手の生命を打って「そうだ」という共鳴を呼ばないと指導は通じない。

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池田先生ご指導

題目は、苦悩を歓喜に変えます。さらに、歓喜を大歓喜に変えます。ゆえに、嬉しい時も、悲しい時も、善きにつけ、悪しきにつけ、何があっても、ただひたすら、題目を唱え抜いていくことです。これが幸福の直道です」

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池田先生ご指導

煩悩は仏の智慧としての般若に、悪業の連鎖を形づくってきた業は仏の自在無礙の解脱の働きに、そして苦に満ちた凡夫の生命は法身という究極の真理の当体へと、それぞれあらわれるのである。

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池田先生ご指導

無始の昔からの積もり積もった罪障を、いまこの一生で消滅しようというのであるから、さまざまのものが出てくるのは当然である。

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池田先生ご指導

宗教の誤りほど恐ろしいものはない。知らずしらずのうちに、生命の奥深く入りこんでいく。しかも、いったん、そこに住所を構えるや、根強く、そこに永住し、その人の清浄な生命をおおいかくす。さらに生命力を弱め、あるいは貧瞋癡の三悪道、四悪趣の働きを増し、正常な思考能力を狂わし、正しい生活のリズムを破壊し、やがて奈落の底へ突き落とすのである。

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