池田先生ご指導

無始の昔からの積もり積もった罪障を、いまこの一生で消滅しようというのであるから、さまざまのものが出てくるのは当然である。

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まじめに信心している人であっても、その宿命打開の途上において、大小さまざまな苦しみと戦わなければならないことがある。無始の昔からの積もり積もった罪障を、いまこの一生で消滅しようというのであるから、さまざまのものが出てくるのは当然である。誰を恨やむこともない。いわんや、御本尊を疑うなどは、とんでもないことである。転重軽受の法理を確信し、御本尊の偉大な功徳に心から感謝して、いっそう強い信心に立ち、唱題、折伏に励みゆくことが、大事であり、それが結局、最短コースなのである。
また、いったん信心したけれども、途中で、疑いを起こしたり、嫉妬したり、そして退転していく人がいる。この人は、退転することによって、せっかく消しかけた罪を、また元に戻してしまうのである。地獄の苦しみを味わい、結局は、気がついて、必ずまた御本尊のもとに戻ってくるのである。