本日の御書

本日の御書 一に父母に孝あれとはたとひ親はものに覚えずとも悪さまなる事を云うとも聊かも腹も立てず誤る顔を見せず親の云う事に一分も違へず

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本文】
一に父母に孝あれとはたとひ親はものに覚えずとも悪さまなる事を云うとも聊かも腹も立てず誤る顔を見せず親の云う事に一分も違へず・親によき物を与へんと思いてせめてする事なくば一日に二三度えみて向へとなり(上野殿消息p1527)

【通解】
第一に父母に孝行であれということは、たとえ親がものの道理をわきまえていなくても、また、ひどいことを言うことがあっても、少しも腹を立てたり、気分を悪くした顔を見せることもなく、親の言うことに一分も逆らわないことです。親に良いものを与えようと思いながら、何もできない時には、一日に二、三度は、笑顔を見せて、親に向かってあげなさい、ということです

【先生の指導から】
さんから、口うるさく言われても、ともかく、まず、「はい」と返事をする。話を聞く。それだけでも、親は安心するものだ。子どものことを心配していない親はいないのだから。
もちろん、現実には、さまざまな場合があろう。大事なことは、争いがないように、聡明に生きることだ。
(中略)
親に贈るものが何もなければ、せめて、一日に二、三度、笑顔を投げかけてあげなさい─心に染みいる指針である。
「お父さん、近ごろ体は大丈夫?」「お母さん、いつもご苦労さま!」─こうニコッと笑って語りかける。それだけでも親は涙が出るほどうれしいものだ。
根本は、相手を思う心である。それが慈悲である。その慈悲から、無限の知恵が出る。希望が生まれる。
一家の問題だけではない。地域の友好も、大きくは、国と国との関係も、相手を思う心が根底にあってこそ、本当の信頼が結ばれる。
この仏法の根幹である”慈悲の精神”を、わが地域に、社会に、そして世界に、大きく広げているのが、私たちの広宣流布の運動なのである。