〈発言ボックス〉

〈発言ボックス〉 「私が入会を決めた時」 2018年7月15日

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●大阪市東淀川区 岡本理紗(31歳)

 20歳で美容室に就職しました。当時、苦難の連続で、家庭環境にも恵まれず、見かねた美容室のオーナーが「創価学会って知ってる?」と。オーナーは学会員ではないので不思議でしたが、親友が信心を頑張っているからと勧めてくれたのです。
その後、一度、学会を見てみようと、座談会に参加。皆さん温かく、どこに行っても歓迎してくださり、不信感はなくなっていきました。しかし、宗教とは無縁だった私が家族の中で一人、学会に入るのはとてもハードルが高く、「親はどう思うだろうか。心配をかけるのではないか」と入会する気になれませんでした。それでも、私の悩みが解決するよう皆さんで祈ってくれていることを知り、少しずつ心が動きました。
そして、初めて参加した本部幹部会の中継行事でのこと。池田先生が、ユーモアを交えながらスピーチされている姿は、これまで抱いていた宗教のイメージとは全く違いました。不安は吹き飛び、「この宗教は大丈夫だ」と入会を決意。後に先輩にこのことを話すと「理紗ちゃんは池田先生の折伏で入会したんだね」と言われ、あらためて感激の思いが湧き上がりました。

●千葉県印西市 合戸いさ子(66歳)
私は、6歳の時に父親が家を出て行って以来、何度も引っ越しを経験しました。中学2年の冬、長野県小諸市から東京の江東区に来て、一番仲良くなった級友から、初めて信心の話を聞きました。
最初は、世間のうわさをうのみにして反発していましたが、私の質問にも丁寧に答えてくれるのです。池田先生は素晴らしい師匠であること、題目を唱えると祈りがかなうことなど、目をキラキラさせながら話してくれました。
一つ一つの発言の内容にも納得できましたが、それ以上に、「中学生なのにこんなに自信を持って、人に語れるものを持っているなんて、すごい!」と感じました。
それに引き換え、「私には何もない」と思っていると、友人は、「この信心をすると、いい友達ができるよ!」と。
この言葉が、たび重なる引っ越しで、友人と別れる寂しさを抱えていた私の胸に刺さりました。それが決め手となり、入会しました。
2年後には、母や兄姉も信心するようになり、行方不明だった父とも、10年ぶりに再会することができました。

●青森県八戸市 宮崎次夫(68歳)
65歳で退職して以来、妻と常に一緒にいるように。口げんかでは、負けてばかりいました。
妻は40年以上も前に学会に入会。私も未入会ながら、“笑顔がきれい”な聖教新聞の記事を見ては、うらやましく思っていました。実は17年前、友達に裏切られて以来、自分から人と関わるのは極力、避けていたのです。ゆえに、自分には笑顔がない。「まず笑顔になろう」。そう思い、学会に入会するのが一番の早道と知っていましたが、妻に素直に言いたくありません。
ある朝、教学部任用試験の記事を見て妻に質問すると、昔、一度受験して不合格だったとのこと。日常の口げんかで負けている分、試験に合格して見返そうと考え、一緒に受験しようと提案。絶対に妻に負けてはならないと思い、“私が不合格だったら学会に入会する”との条件まで付けました。
2人で合格したので、入会については触れずにいましたが、仏法があまりにも深いことを知り、もっと学びたくなりました。妻が持っていた学会の書籍をあさりもしました。この時点で、「自分を変えよう」と決意していましたが、きっかけがつかめません。その後、紙面で見ていた“笑顔がきれい”な学会の皆さんと実際に会い、信心の正しさを確信。背中を押してもらい、入会しました。

●北九州市八幡西区 遠竹幸子(86歳)
「宿命転換」の4文字が入会の決め手でした。それまでは、「人生は、運命の定めるままに生きていく以外にない」というのが持論でした。
私の家系は当時、父や姉2人、多くの親族も、肺結核で亡くなっていました。私も結核にかかり、この道を歩むしかないと諦めて、療養していました。
1957年(昭和32年)、近所の魚屋さんから折伏を受けました。とうとうと話をされる中で、この信心は「必ず宿命転換がかなうのです」と。その瞬間、真剣に聞き返しました。「私の運命が、南無妙法蓮華経と唱えて変わるのですか!」
「絶対に変えていけます」との確信ある言葉に、思わず身を乗り出して、「やってみます」と決意していました。
それから61年、さまざまな山坂はありましたが、真面目一筋に戦い、一つ一つ勝ち越えてきました。現在では、思いもかけないくらいの幸せな毎日を、感謝の気持ちで送っています。

●大阪府豊中市 斉藤五十榮(74歳)
「ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい」。このポール・ニザン著『アデン アラビア』(篠田浩一郎訳)の言葉を、52歳で入会するまで、ずっと引きずってきました。思想的には、サルトルを尊敬する新左翼でした。
しかし、現実は借金だらけで、この地獄から逃げたいと思い、生まれ故郷の愛媛・松山の海にまで行ったことがありました。でも、海をのぞいて、死が恐ろしくなりました。
翌日、大学時代の先輩である学会員のところへ。「僕は、死ぬ勇気がありませんでした」と言うと、「おまえは、勇気があったから飛び込まなかったんだ」と。ハッとし、救われた思いがしました。他人からどんなことを言われようが、生きて生き抜いて、現実と戦っていこうと腹が決まりました。
翌日から先輩の折伏が始まりました。その中で「現実から逃げて幸せになった人間に、今まで出くわしたことがない」と。改めて、戦う心の強さを得たいと思い、入会して先輩と一緒に実践しようと決心しました。

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