恩師戸田先生は、妙法、妙法といっても、詮ずるところは「人」である、「法」は見えない、人と法は切り離せない、一体であると、よく言われていた。「正しき法」は、具体的には「正しき信心の人」にこそ脈打っていく。日蓮大聖人は「ただ心こそ大切なれ」と仰せである。
いくら御本尊が正しくても、邪信であったり、狂信・妄信であったり、また、妙法を持ち、最も広宣流布に尽くしているわれわれを、迫害するような聖職者や背信者には、絶対に功徳はない。御書に照らし、経文にてらして、厳然たる因果の報いを受けることは明らかである。
身近な例でいえば、いくら立派な車があっても、運転する人が酒に酔っていたり、技術が未熟であったり、心が狂っていたりすれば大事故につながる。同乗した人間もまた、まきぞえになる。ゆえに大切なのは、「心」である。日蓮大聖人のご遺命である広宣流布に向いゆく「信心」である。