池田先生ご指導

広布のために命懸けで仏法を実践する行動のなかでしか「仏と魔」「善と悪」を見破る力は培われない。

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現実のうえにあらわれる相が、いかに大切であるかを、述べられた一節です。
私たちの心にはらまれている思い、一念というものは、かならずその人の姿に、行動のなかに、いつしかにじみでてくるものです。
どんなにおおい隠そうとしても、その人の奥底の心の働きは、姿形をとって、あらわれてしまうといえましょう。
あるいは、いかに高邁な哲理、理論を弁じようとも、その人の姿に精彩がなく、家庭が寒々としていては、周囲の人は、だれ一人として、その哲理と人とを、信頼しないことでしょう。


仏法では、魔は魔と見破れば、すでにヌケ殻のようなものである。
では、どうすれば魔を見破ることができるのか。
牧口先生は「観念ではわからない。実行だ!」
広布のために命懸けで仏法を実践する行動のなかでしか「仏と魔」「善と悪」を見破る力は培われない。