池田先生ご指導

これほどの宝をもちながら、信心が中途半端で終わってしまっては、あまりにも、もったいない。三世にわたる最大の損失である。

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「信心」を我がいのちに染め抜いた人は強い
「信心」を我がいのちに染め抜いた人は強い。永遠に輝く不壊の生命となる。尽きぬ無限の知恵と力がわいてくる。妙法は宇宙大の法であり、信心の「心」を開けば、宇宙の大生命力が満々とみなぎってくる――。
これほどの宝をもちながら、信心が中途半端で終わってしまっては、あまりにも、もったいない。三世にわたる最大の損失である。
食べ物のオデンでも、“ダシ”がよく染みこんでいるかどうかで味がきまる。幹部であっても、また社会的地位があっても尊い仏子である同志を見下し、利用したり、うまく組織を泳いでいったのでは、本当に信心を生命に染め抜くことはできないし、最後は自分が不幸である。
どうか、一日また一日、一年また一年、いよいよ強き強き信心を重ねて、これ以上はないという人生の醍醐味を味わいきっていただきたい。
私は、これまで、数えきれぬほど人々の「生」と「死」のドラマを見守ってきた。幾千、幾万の臨終の姿を見、また報告も受けてきた。その経験に照らして、断言できることは、たとえ一見、短命のように見えたとしても、必ず「更賜寿命=さらに寿命を賜え」の経文のままの功徳の実証が、何らかのかたちで厳然と、あらわれているということである。
いわゆる世間の眼や肉眼だけではわからない。信心の眼から見る時、そのことは、おのずから感じられるものである。