慢こそ仏法者の恥辱である。 いかに正義の弁論をもってわが身を荘厳しようとしても、その根本は無明であるとともに、魔王の生命である。

独善的に「われひとり尊し」とする信心は大聖人の仏法にはない。
慢こそ仏法者の恥辱である。
いかに正義の弁論をもってわが身を荘厳しようとしても、その根本は無明であるとともに、魔王の生命である。

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