打ち上げられた衛星も、軌道からはずれれば落ちてしまうか、宇宙の彼方に飛び消えていってしまうにちがいない。
人間もまた同じように生命の根本軌道からはずれたならば、絶対なる常楽の人生はありえない。
ここに信心の必要性がある。
そして、この信心の「根本尊敬」の当体である御本尊に南無しゆくとき、わが生命を妙法が貫き、「食・暖・療・慢・疑」という不幸の根源を、嵐のごとく吹き払って清浄にしてくれるのである。
とともに、その信心の一念は宇宙をも清浄世界へと変えていくのである。
また、妙法によって、清浄にされた生命は、死しても、清浄なる宇宙生命へと融合していく、つまり仏界の生命へと入っていけることを確信されたい。
煩悩の薪を焚いて菩提とする、無明が強ければそれを包みこむ、妙法の利剣による。法華経が普賢菩薩かんぱつ品で終わる意義を深く噛みしめ、て、旅客来たりて嘆いて曰く、近年より近日に至るまで、飢饉疫病あまねく天下に満ち広く地上にはびこるを暗唱した意味を深く思います。