しかし、ありがたいことに日蓮大聖人の仏法の究極であられる御本尊に題目を唱え奉れば、すべての指導を忘れても、功徳を受けることができる。またそれがすべてなのであり、まことにありがたき仏法なのである。
その法理は、題目を唱えきっていくならば、自己と宇宙を貫きゆく仏界という永遠なる「法」に生きゆく、最極の「我」となっていけるからである。仏の眼からみるならば、世間の実相のなかに十界がある。
そのなかにあって、つねに勇敢に南無妙法蓮華経と唱えゆく人は、いかなる状況にあったとしても、「法の力」「信の力」によって仏界をあらわし、常楽我浄という宇宙の大リズムに則っていけるのである。
私どもは、そのための仏道修行をしているわけである。それ以外に、崩れざる幸福境涯には到達できないのである。