〈勇気の旗高く〉

〈勇気の旗高く〉池田先生と滋賀 2020年1月6日 語れ我が友熱き心

スポンサーリンク

琵琶湖の南西上空に広がったちぎれ雲。夕日に照らされ、美しく輝いていた(1995年10月、池田先生撮影)。先生は滋賀の天地を思い浮かべながら、こう詠んだ。「滋賀の友/今日はいかにと/祈るらむ/人間博士と/愉快に 生きぬけ」と
 池田先生が各地の友に寄せたスピーチや指針などを紹介する「勇気の旗高く」。今回は滋賀県を掲載する。

金の思い出
日本最大の湖・琵琶湖を有する滋賀県。古くから近江と呼ばれ、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の天下人らが、県内に堅固な城を築いた。紫式部をはじめ、多くの文人・歌人が訪れた詩情豊かな天地を、先生はこよなく愛し、友に励ましを送ってきた。

私は、大津、彦根、米原、長浜、東近江、高島、草津など、近江の路を踏みしめてきました。かつての甲西町(現・湖南市)に足を運んだことも懐かしい。
春夏秋冬、装いを変えゆく琵琶湖畔を一緒に散策したり、湖上に架かる大橋を渡ったり、名城・彦根城で思索の一時を送ったり、湖水を照らす満月を仰いだり、金の思い出は尽きません。
とりわけ、愛する郷土の繁栄を真剣に願う友と、いかに地域に貢献するか、友情と信頼を広げていくか、語らいを重ねてきました。
湖国の友どちの清冽な志には、常に胸を打たれたものです。

滋賀の同志が誇る長年の地域貢献。その原点は1971年(昭和46年)9月5日、滋賀研修道場の誕生を記念して行われた「びわこ祭」である。この時の思い出を、先生は振り返っている。

琵琶湖の美景は、人々の心を感化して、文化の創造の力となり、青年の成長の糧となってきました。この点に注目されていたのが、創価教育の創始者である牧口常三郎先生であり、その弟子の戸田城聖先生です。
先達の心を知る滋賀の友人たちは、長年、米原市の琵琶湖畔で文化の集いを重ね、それを通して、地域貢献と青年育成を進めてきました。
この地に、私も何度となく伺い、若人と楽しい語らいの機会を持ってきました。
凜々しき女性たちに、「今日一日を 汝自身に勝つ それが十年先の 勝利の人生であるからだ」と綴り、贈ったこともあります。
「琵琶湖周航の歌」を、地元の高校生の皆さんや、婦人の皆さんが生き生きと歌い上げてくれたハーモニーも蘇ります。
「黄金の波に いざ漕がん 語れ我が友 熱き心」
今もよく聴く、大好きな歌です。
郷土のために奔走する滋賀の友と対話する思いで――。

大願を起こせ
瀬田川に架かる「瀬田の唐橋」は、数々の戦乱の舞台となったことで知られる。その歴史に触れ、先生は滋賀の勝利の前進をたたえた。

わが滋賀県は、東西日本を繫ぐ要路にあたり、広布の大切な要の地でもある。
あの“瀬田の唐橋を制するものは、天下を制する”という有名な言葉が残っている。
古代最大の戦乱と言われる672年の「壬申の乱」以来、幾たびも、この唐橋こそが決戦の勝敗の分かれ目になったことは、有名な史実である。
御金言に曰く。
「此れこそ宇治川を渡せし所よ・是こそ勢多を渡せし所よ・名を揚るか名をくだすかなり」(御書1451ページ)
「瀬田の橋」に堂々と翻る滋賀広布の勝利の旗が、そのまま全関西の、いな、全日本の広宣流布の大旗なのだ。
この滋賀の天地で、私も折伏の戦いの歴史を、滋賀の同志と共に創りに創ってきた思い出は深い。
かつて彦根の友に語った。それは、「強き祈り」「勇気」「忍耐」が人生勝利のカギだ。そして戦いの大原則であると。その指導を胸に刻んで、愛する滋賀の友は、今日まで悠然と戦ってこられた。そして勝利の歴史を高々と残してくださった。

1976年(昭和51年)2月、池田先生は草津で新会館の起工式に出席した後、大津の会館へ。滋賀広布20周年を記念する勤行会で、決然たる信心で立ち上がることを呼び掛けた。

寒い二月であった。雨も降っていた。当時の会館はあまりにも狭く、照明も暗かった。
非難中傷の雨に打たれながらの、まだまだ小さな、わびしき滋賀の創価学会であった。
私は断固として訴えた。
「滋賀よ、日本一の朗らかな大滋賀を建設せよ!」と。
そして、すべての人が大きく境涯を開き、「常勝の人生」「常勝の滋賀」を築いてほしいと祈った。
仏法は勝負である。信心に中途半端はない。
日蓮大聖人は、弟子たちに、何度も「大願を起こせ」「思い切れ」と激励されている。
環境がどうあれ、朗らかな、決然たる心さえあれば、そこに偉大な活力の太陽、敗北することなき太陽が昇るのだ!

「幸福の種」を
1995年(平成7年)10月、池田先生は滋賀文化会館を初訪問。本年は25周年の佳節である。
この訪問の折、先生は「夢の国/琵琶湖を照らし/満月が/滋賀は 仏土と/煌々 昇らむ」との和歌を詠み、勇気の対話を訴えた。

正義の大闘争こそが広宣流布である。
時代の混迷を目のあたりにしながら、何もせず、ただ傍観している――それほど無責任な、卑怯なことはない。
今、創価学会が立ち上がり、全力で、誠実に行動している。これこそ大聖人のお心にかなっていると確信する。
「仏法は勝負」である。ひとたび戦いを開始したからには、断じて負けるわけにはいかない。師子として仏敵を打ち破り、勝ちぬいていく以外ない。すべては、ただ民衆の安穏のためである。

皆さまが勇気をもって、仏法を語れば語るほど、人々の心の奥に、最高の「幸福の種」をまくことができる。たとえ、今は相手が反対したとしても、必ず花開く時が来る。
なかんずく、婦人部の確信の弁舌は、観念論ではない。言葉だけの空まわりでもない。強き一念、深き体験より発する、わが婦人部の一言一言には、人々の心を打つ響きがあり、心を動かしていく力がある。
皆さまが祈り、しゃべった分、仏縁を結び、広宣流布のすそ野は広がっていく。

妙法の音声に、どれほどの力が秘められていることか。
それは、全宇宙のあらゆる衆生が具えている尊極の仏性を呼び覚ましていく。
ゆえにすべてを仏天の加護に変え、味方へと転じられるのである。
功徳の「功」とは、「悪を滅する」こと。功徳の「徳」とは、「善を生ずる」ことである。
学会の正義が、このように堂々と証明されゆくのも、学会員なかんずく婦人部の皆さまの懸命な祈りと戦いの功徳なのである。
皆さま方の大闘争に呼応して、今、諸天善神もグングン勢いを増し、働いている。
さらに朗々と、妙法を世界へ宇宙へ響かせながら、人々の心に「希望の種」をまく一日一日でありたい。

「滋」には「そだつ」「やしなう」、「賀」には「よろこび」の意味がある。
滋賀の友は、人材の育成と対話拡大に喜び勇んで進み、盤石な「夢の国」の建設に挑んでいく。