わが身に梵天帝釈入り給えと祈るんだ。
あの人にもこの人にも
諸天善神が入り給えと祈るんだ。
何千倍、何万倍も、祈りのかない方が違うんだ。
まず祈ることだ。
祈ってから、
祈った分だけ動くんだ。
だから祈りが叶う。
皆、祈ってるいるようで祈ってない。
曖昧で、中途半端で、
勤行はするけど
本当に祈っていないんだ。
まず祈ることだよ、
気違いのように祈ること。
強く祈ることだ。
戸田先生の時代は、
婦人部は気違いのように
すさまじい声で祈ってたよ。
凄い声で、凄い勢いだった。
あまり祈るから、
お数珠が切れて、玉が飛び散った。
その玉が後ろにいた主人の目に当たって
目が見えるようになった。
子供の頭に当たって成績が良くなった。
戸田先生もこの婦人に、
一日一回お数珠が切れるので、
針金でお数珠を結びなさいと言っていた。
笑っているけど本当の話なんだ。
この人は事業をされていて
今でも財務はトップだよ。
この婦人は祈りで境涯を拓いたんだ。
今の人は祈っていない。
お題目はあげるけど、
祈っていないんだ。
今の祈りは格好だけ。
強く祈るんだ。
一日の疲れ、
戦いの疲れ、
祈り続けるとばたっと倒れる。
額に畳のあとがつく。
しかし、また祈る。
中途半端には祈らない。
日本一の幸せ者になるように満々と祈れば
生命はそこに向かうんだ。
御書に祈りは必ず叶うとあるじゃないか。
宿命、貧乏、病気との必死の戦いの中での戦いであった。
それでも必死に祈ったんだ。
拝めば良いことがあるとか、
信じれば良いことがあるのでは、
まやかしの宗教じゃないか。
大聖人は戦えば功徳がある。
ここが違うんだ。
「悪を責めるを功と言い、善を生ずるを徳と言う」
とおっしゃっている。
スゴいですね…。まずは祈りから挑戦してみます。
今は病魔と戦ってますので…。