勤行・唱題こそ諸天の威光勢力を増す法味
さて、諸天善神は、「法味」を唯一の〝食″として威光勢力を増すことができる。
末法今時においては南無妙法蓮華経のみが、諸天の滋養となる法味である。
「立正安国論」の「御勘由来」には「諸大善神法味をくらわずして威光を失い国土を捨て去り了んぬ」(御書三四㌻)と仰せである。
つまり、日本中がいわゆる「神天上」となり、諸天善神は法味を味わうことができず、威光勢力を失い、国土を捨て去ってしまった、と。
国土に正法の妙味がなければ、諸天善神は法味に飢え、国を捨てて、去る。
ゆえに人も国土も衰微せざるをえないのである。
反対に、法味をえた善神は、絶大な力で、衆生を守護する。
「法華初心成仏抄」に「口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ」(御書五五七㌻)との御文がある。
〝御本尊に向かい題目を唱えていけば、わが生命の仏性も呼び出されて、必ず顕れる。また梵天、帝釈の仏性も呼び出されて、われわれを守ってくれる″との仰せの通りなのである。
前例も一般的理論も根拠も、何も必要ないです。
祈る空間に存在しているのは、御本尊様と自分だけ。
ただひたすら素直に、心のままに御本尊様にお祈りする事。願う事。
すると、不思議と、いろいろ理解ってきます。見えてきます。
そんな風に「変化」が始まりだすと、もう信心が楽しくてやめられなくなりますね(^ー^)
これは祈らないと理解できない境地でしょう。