寿量品には、仏のことが医者に譬えられている。われわれが「名医」になっていくんだよ。
そうだ。患者さんは、いろいろだ。なかには、自分の病気に気が付いていない人もいる。医学でも問診というけれど、対話をしていくなかで、相手のどこに魔が巣くっているのかを見抜いていくことが大切だ。何が、その人の成長を、幸福を妨げているのか、こちらも理解し、相手にもわからせてあげないといけない。
名医ともなれば、顔の表情ひとつで、悩んでいるかどうか気付いてあげないといけないわけですね。一人ひとりの部員さんのことを御本尊に真剣に祈りながら、僕らが名医に成長して行くしかないんだよ。相手に迎合して、信心の世界に遊びを持ち込もうというのは「随他意」だ。
池田先生は、青年は「随自意」で仏法を語れとおっしゃられた。信心の団体なのだから、正面から心を語るべきだ。その上で、相手に心を砕き、智慧をしぼり、いろいろな対話をしていくことが、仏の慈悲であり智慧じゃないだろうか。