一瞬の生命をとってみれば、やはり十界のうちのどれか一つにしかないのである。しかし生命が十界のうちのどれか一つの状態にあっても、その状態は固定化されてしまうのではなく、縁にふれれば、すぐにパッと他の状態に移行していくことを説き明かしているのである。
だが、バネが振動していても、いつかはある一定の場所に戻るように、一時的には十界のそれぞれ状態を涌現しても、結局は戻らざるをえない基盤をなしているともいうべき所がある。いわばその人の生活・人生の基調となっている生命状態である。それは人によって違うであろうが、その基調が地獄界ならば、その人は地獄界の衆生であり、それが天界ならば、その人は天界の衆生である。
一生成仏とは、仏界がその人の生命活動・生活・人生の基調となり、仏界があたかも生命の自宅のようになって、他の九界に遊戯し、人生を楽しみ切っていくという状態をさすのである。