生命が地獄の苦しみにある時に、社会的肩書など、何の役にも立たない。だれも、威張ってなどいられない。
生死不二であるゆえに、それは生きている
永遠の生命であり、死後がある。時も、死んだ後も、同じである。
「きょう、お金がない」
--そういう、さまざまな悩みも、死後の地獄の苦しみから見れば、小さな小さなものである。
どれも、仏法の目から見れば、たいしたことはない。
永遠の生命であり、死後がある。
死後、未来の生命は長い。ゆえに、生まれてから、ほんのわずかの間、いい家に住んだから等といって、どういうこともない。
そして、今度、生まれる時は、亡くなった時の生命の状態で生まれてくるのです。
ゆえに仏道修行が必要なのである。
広宣流布のために働いている人は、そのための苦しみも、世間の楽しみの、何千倍もの楽しみに変わっていく。永遠性の喜びにつながっていく。