日蓮大聖人は、真剣に信心に励めば、その護法の功徳力により、過去の重罪を招き出して軽く受け、消すことができると、示同凡夫の立場で述べられています。

日蓮大聖人は、真剣に信心に励めば、その護法の功徳力により、過去の重罪を招き出して軽く受け、消すことができると、示同凡夫の立場で述べられています。したがって、まじめな実践の途上に、障魔が起こり難があるのは、かえって喜ぶべきことなのです。
過去遠々劫からの罪業により、生命の奥深くに沈殿し、しみついた濁りは、生命の哲理を知らない他教では、いかんとも解決のしがたいものです。その重罪を招きあらわして消しさる力はなく、生命の濁りはいよいよ堅固なものとなり、未来永劫にその重罪を受けていかなければなりません。私たちの受持した日蓮大聖人の仏法には、宿命を転換させる偉大な力が具わっている。生命の欠陥というか、重罪というか、それを露にして、完全にして清浄な生命に変革する力があるのです。

刀を作るにも、鉄の鍛え方が弱ければその傷は見えませんが、よく火で熱し、鍛えれば傷が現れてきます。仏道修行とは、自己の生命を福徳豊かな、強く清浄な生命にする、人間革命の修行です。真剣さに応じて、その上達もきまる。人間勝利の人生の達人になるには、自己の生命の弱さ、濁りとの対決を避けてはなりません。
この悩みを解決したい。あの願いをかなえたいと、本気になって信心の実践に励めば、いままでその人の生命を弱く濁らせていた第六天の魔王が驚いて、低い迷いの境涯から離れさせまいと反発するのは当然です。急流を木でかけば波がおこり、眠れる獅子に手をつければ吼えるのは道理です。転

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