池田先生ご指導

題目の功徳を、いつの間にか自分で区切っていないか。 「祈りとして叶わざるなく」を文字どおり、そのまま「確信」することが大事。

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妙法の因果は、あまりにも厳正であり、一点の曇りもない。
たとえ「国法」による裁きから逃げられたとしても、「仏法の因果律」による裁きだけは、絶対にごまかせない。逃れることもできない。
「始めは事なきやうにて」、必ず最後は裁かれる。
仏法の因果は厳然たるもの。


しかし、幸福は「遠いところ」にあるのではない。
「今、ここ」の現実との戦いによって、幸福は勝ち取っていくべきである。
自分の地域についても、「よきところ、よきところ」とたたえ、感謝する心が「自信」と「勢い」をつくっていく。広宣流布の「喜び」を広げていく。
小さな「一念の違い」が、百八十度、違う結果をもたらしていく。
環境ではない。心である。


真の人間共和の集まりである、創価学会の「地区」の存在が、地域社会のなかにおいて輝いていく時である。町内会や自治会のなかで、わが町には創価学会の○○地区があると地域の人たちが誇りとして語られるような、信頼ある「地区」を築くことが地域の広宣流布。


題目の功徳を、いつの間にか自分で区切っていないか。
「祈りとして叶わざるなく」を文字どおり、そのまま「確信」することが大事。