池田先生ご指導

いっさいの人間の営みは、その基盤となる思想によって、刻々と動かされていく。轟音を立て、瞬時の停滞もない時の流れも、社会の思想に導かれ、転回している。

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自分ひとり、御本尊を拝んでいるのは「慳貪に墜す」といって仏のもっとも忌まれるところである。これ安楽行品に準ずるものであり、大聖人のとくにおしかりになっていられるところである。しかるに、わが会員中においても、折伏することが相手に悪いように考えたり、遠慮したり、義理にからんだりして、ちゅうちゅしているのいは、なにごとであろうか。


一片の思想が、人を死にも追いやる。人は思想のために死ぬことができる。人間はそのような生物であることは事実だ。
しかも、恐るべきことは、その思想の正、不正にはあまりにも無関心なことだ。いわば思想の魔力である。


いっさいの人間の営みは、その基盤となる思想によって、刻々と動かされていく。轟音を立て、瞬時の停滞もない時の流れも、社会の思想に導かれ、転回している。まことに思想のもつ影響力はきわめて甚大である半面、一種の恐ろしささえ感じさせるものだ。新しい哲学が待望されよう。より広大な人間観と社会観に、一人ひとりが目を開かなければ、社旗の混迷を解決することは絶対に不可能としなければならない。