山にみた場合、最高の山の頂上が成仏であり、利益の最高である。成仏とは、永遠の生命を感得することであって、いつ、いかなるときにうでも、絶対の幸福で、成仏といってもことばではあらわせないため、死ぬまでに物心両面が満ち、その証拠をとる。
初信の功徳は、山へ登ることであり、成仏は、それよりも高い山へ登るのであって、これは世法のご利益を得るのではない」
すなわち、成仏という妙覚の高山に登るのが信心の目的である。初信の利益は、その手前の低い山である。
「低い山から最高の山へ登る中間には、かならず谷があり、この谷に、みなさんは迷う」--初信の功徳の次には、三障四魔と宿命転換の谷を通らなければならない。その谷の向こうに高い山がある。それなのにこの谷で疑いを起こしてしまう。
「これこそ鬼子母神、十羅刹、魔王の試練で、初信の者は、これに驚き負けてしまう。この第六天の魔王の試練の罰に負けてはなならない。谷へ落ちたとき、これでなるものかと、最高の山へ登るためにいちど谷へ落ちたことを信じ、よくよく小山より大山へ登る谷へ、考えをいたさなければならない。