現代では、死んでもまた生まれてくることを迷信として片付けているけれど、この世で死んでおしまいなら、泥棒したって詐欺したって心配ないわけです。しかし、私たちの生命には来世というものがある。これを言い切りますと迷信だという。知る知らないは別として、私たちはまた生まれてこなければならないのです。その来世の幸福をも計算にいれると、この世の幸せたけで満足している人にも、すすめなくてはならなくなってくるわけです。
「われわれの生命は、まちがいなく永遠であり、無始無終であります。われわれは、末法に七文字の法華経を流布すべき大任をおびて、出現したことを自覚いたしました。この境地にまかせて、われわれの位を判ずるならば、所詮、われわれこそ、まさしく本化地湧の菩薩であります。」
「子どもは久遠元初からの使者だよ。親をはじめ、皆を仏にするために生まれてきたのだ」
「題目をあげて語れ!すごい境涯になれる!」