法悟空 内田健一郎 画 (5993)
山本伸一は、今こそ、平和の礎となる、仏法から発する生命の尊厳と平等の哲理を世界に伝え、広め、二十一世紀の時代精神としなければならないと決意していた。
彼は、「聖教新聞」の創刊二十八周年にあたる四月二十日には、インドの新聞「インディアン・エクスプレス」のS・ムルガオンカル論説総主幹と神奈川文化会館で会談し、平和建設と新聞の使命などについて語り合った。
伸一は、世界平和の実現という壮大なる目標に向かって、指導者、識者らとの対話を進める一方、一人ひとりの同志の幸福を願い、家庭訪問や個人指導に余念がなかった。神奈川文化会館にあっても、何十人もの来館者に声をかけ、激励と指導を重ねた。
“何があろうと、いかなる立場になろうと、私は尊き学会員を励まし続ける。庶民と共にどこまでも歩み続ける”――彼は、そう固く心に決めていたのである。
一人の人を大切にし、守り励ますことも、世界平和の建設も、同じ原点をもつ。万人が等しく「仏」であるとの、仏法の哲理と慈悲から生じる実践にほかならないからだ。
神奈川県青年部長の大賀孝芳をはじめ、青年たちとも語り合った。
「君たちの舞台は世界へと広がるよ。同じ人生ならば、私と一緒に、世界広布の大ロマンに生きようじゃないか!」
決意に燃える青年たちの瞳に、伸一は無限の希望を感じた。
彼の脳裏には、戦争、飢餓、貧困等々で苦しむ世界の民衆が鮮明に映し出されていた。彼は、何よりも人類を引き裂く東西冷戦にピリオドを打つために、自分ができることは何かを問い、考え抜いてきた。
“一人の人間として、一民間人として、世界の首脳たちと対話を重ね、人間と人間を結ぶことだ。いかに不可能に見えようが、それ以外に、平和の創造はない!”
人間主義の旗を高く掲げ、二十一世紀の新大陸へと進む創価の新航路が、ありありと彼の瞼に浮かぶのであった。