小説「新・人間革命」

〈小説「新・人間革命」〉 誓願 百九 2018年8月3日

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 法悟空 内田健一郎 画 (6439)

 チリの首都サンティアゴでは、一九七三年(昭和四十八年)、軍事クーデターが勃発した。上空には戦闘機が飛び交い、街には戦車や武装兵があふれた。メンバーの中心者夫妻の家も、戦いに巻き込まれ、機銃掃射を浴びた。二階は銃弾で蜂の巣のようになったが、夫妻は一階の仏間にいて、無事だった。
二人は、戒厳令下の街へ飛び出し、同志の安否を気遣い、一軒一軒、訪ねて歩く日々が続いた。集会は禁じられていた。訪問した家々で、“家族座談会”を開いて歩いた。
その後も、会合の開催には、国防省の許可が必要であり、場所も会館一カ所だけに限られた。しかし、同志は皆、意気軒昂であった。会合の内容を視察に来た警察官にも、SGIの平和運動のすばらしさを訴えた。
チリの同志は、頬を紅潮させて、当時の様子を山本伸一に報告した。
「牧口先生も、戸田先生も、戦時中、日本にあって、特高警察の監視のなかで、勇んで広布に戦われてきた。また、山本先生は、私たちに、折々に心温まる励ましを送り、勇気をくださった。先生は、すべてご存じなんだと思うと、力が湧きました」
師を胸に抱いて同志は走った。いつも心に師がいた。ゆえに負けなかった。各支部や地区で自由に会合が開けるようになったのは、民主政権が実現した三年ほど前からである。
そのなかで、同志たちは、伸一のチリ訪問を願い、祈って、活動に励み、一日千秋の思いで待ち続けたのである。
政情不安が続くなか、南北約四千二百キロという広大な国土で、知恵を絞り、工夫を重ね、スクラムを組んで前進してきた同志の苦闘に、伸一は、胸が熱くなるのを覚えた。
地涌の菩薩は、日本から最も遠い国の一つであるチリにも、陸続と出現していたのだ。
チリ文化会館で伸一は、未来部の子どもたちにも声をかけた。
「出迎えありがとう。日本から来ました。日本は、海をはさんでチリのお隣の国だよ」
子らは夢の翼を広げ、目を輝かせた。