小説「新・人間革命」

〈小説「新・人間革命」〉 大山 二十九 2017年2月4日

スポンサーリンク

 法悟空 内田健一郎 画 (5989)

 迎賓館で鄧穎超と会見した翌日の四月十三日午後、山本伸一は、東京・新宿区内で、松下電器産業(後のパナソニック)の創業者である松下幸之助と懇談した。
 深い交友を重ねてきた松下翁にも、会長を辞任する意向であることを伝えておかなくてはと思った。
 「私は、次代のため、未来のために、会長を辞任し、いよいよ別の立場で働いていこうと思っています」
 松下翁は、子細を聞こうとはしなかった。笑顔を向けて、こう語った。
 「そうですか。会長をお辞めになられるのですか。私は、自分のことを誇りとし、自分を称賛できる人生が、最も立派であると思います」
 含蓄のある言葉であった。立場や、人がどう思い、評価するかなどは、全くの些事にすぎない。自分の信念に忠実な、誠実の人生こそが、人間としての勝者の道である。
 この日、伸一は、神奈川県横浜市に完成した神奈川文化会館へ向かった。翌十四日に行われる開館記念勤行会に出席するためである。午後八時過ぎに、新法城に到着した。
 文化会館は、地上十階、地下二階建てである。赤レンガの壁が重厚さと異国情緒を醸し出していた。
 恩師・戸田城聖は、一九五七年(昭和三十二年)九月八日、ここ神奈川県横浜市にある三ツ沢の競技場で行われた東日本体育大会「若人の祭典」の席上、「原水爆禁止宣言」を発表している。いわば、神奈川は、創価学会の平和運動の原点の地である。
 会館の前は山下公園で、その先が横浜の港である。船の明かりが揺れ、街の灯が宝石をちりばめたように、美しく帯状に広がっている。「七つの鐘」を鳴らし終え、平和・文化の大航路を行く創価の、新しい船出を告げるにふさわしい会館であると、伸一は思った。
 星空に汽笛の音が響いた。新生の朝が、間近に迫りつつあることを彼は感じた。