信心の世界においては、批判する人が偉いのではない。実践して証拠を残す人が最高に偉いのである。

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的にみれば、まことに苦しい状況であるが、将来的にみた場合には、その永遠性のためにも切開手術もしておかなければならないこともあるのだ、恐れてはならない。


妙法の信仰は、生命の根本的変革をもたらすものであるだけに、「元品の法性」に対する「元品の無明」による反発が起こってくるからである。
ゆえに、この誤解や反発は、正法を行ずる作用から必然的に起こるものであり、少しも驚くにはあたらないし、恐れてもならない。むしろ、それは、多くの人が正法の信仰にめざめていく仏縁となるのである。


会の組織にはムダがない。苦労すべき責任が大きくなればなるほど、功徳を受けるし、信心の確信もつく。大事なのは信心である。何千人もの人に功徳を受けさせるのだ。という確信で、題目を唱えていくべきである。それで御本尊の仏力、法力をうけられないわけがない。
自分だけの信心でなく、何千人もの人のため、広布を成し遂げるべき人材になるのだとの信力、行力があれば、それだけの仏力、法力があらわれないわけがない。


信心の世界においては、批判する人が偉いのではない。実践して証拠を残す人が最高に偉いのである。