功徳とは、広布のために、働くことによる結果。
学会を勝利させようという真剣さに応じて、諸天・仏菩薩が真剣にその人を守る。
学会活動に邁進している人は、いかなる試練もすべて、「煩悩即菩提」「生死即涅槃」と転じていくことができる。
どんなに「いやだな」と思うことがあっても、すべて希望と福運の方向へ、永遠なる幸福の方向へと回転させていくことができる。
祈りは叶うまで続けよ。
では、時として、祈り叶わないように見えるのは、なぜなのか。
それは、より祈りが深くなるように、また、より強い人間、より深い人生になれるように、そして、より深き福運をがっちりとつけるようにとの御仏智なのである。
何でも、ちょっと祈って、すぐに叶ったのでは、人間は堕落してしまう。これでは立派な人生が築けるわけがない。
会社に働きに行っても、その日に給料がもらえるわけではない。木を植えても、すぐに大きくなるものではない。
本当に「深き祈り」も、「死にもの狂いの努力」もなくして、簡単に祈りが叶ってしまえば、人間を堕落させてしまう。
それでは「偉大な人間をつくる」仏法ではなく、人間を破壊する仏法になってしまう。また、「叶う、叶わない」には、さまざまな要因がある。
ゆえに、大切なことは「叶うまで続ける」ことである。
祈り続けることによって、自分を厳しく見つめることもできるし、「地道な努力の軌道」へと、生活を向上させることもできる。
かりに具体的な結果がすぐには出ない場合でも、祈り続けた人は、何かのときに、祈り以上の結果が証明され、そしてまた、大きく守られていくのである。
たとえば仕事のことを祈ったとしても、それだけでなく、より広く、大きく、人生万般にわたって、「幸福」の方向へと軌道修正されていく。
あとから振り返って、「これで良かったんだ」という所願の自分に、必ず、なっていくのである。
要するに、その人が本当に「幸福」になり、「立派」になるための祈りであれば、必ず叶う。すぐには結果が現れない場合でも、長い目で見れば、絶対に叶っていくのである。