ある科学者は、人間は、自分の脳の三分の一も使いきらないで一生を終わると論じていたことがある。生命力もまた同じといってよい。一個の生命が保持している生命の力を、最大限に出せることは幸せなことである。
現在の人生が終わったとしても、一念三千という甚深の仏法のうえから「我」という存在が、この宇宙に実在するからである。この「我」は、自分自身では見えないし、わからないが、事実は色心不二であり、三世常住なのである。
仏法の世界は、だれが偉いとか、だれが偉くないとかいう次元のものではない。
信心が強盛かどうかである。
少しも見栄をはる必要はない。また、あってもならない。仏法に説く「無作」、すなわち働かさず、つくろわず、そのままの姿でいっさいよいのである。
虚栄の人は虚栄で滅び、人気で生きている人は、人気が消え去るとともに滅びる。傲慢の人は傲慢に倒れ、策の人は策で滅びていくものである。
人に失礼をしてしまったのです。変毒為薬したいですどうしたらいいでしょう!!!!