法悟空 内田健一郎 画 (5998)
四月二十四日午前十時、東京・新宿文化会館で県長会が開催された。同会館は、信濃町の学会本部、聖教新聞社からも、徒歩十分ほどのところにある。統一地方選挙の支援活動を大勝利で終え、全国から集ってきた参加者の表情は晴れやかであった。
まだ、会場に山本伸一の姿はなかったが、開会を告げる司会の声が響いた。
冒頭、理事長の十条潔が登壇した。五月三日を前にした新出発の県長会である。しかし、彼の顔には、笑みも精彩もなかった。
十条は「七つの鐘」の淵源を語り始めた。
「山本先生は、戸田先生が逝去され、皆が悲しみに沈んでいた一九五八年(昭和三十三年)五月三日の本部総会で、『七つの鐘』の構想を語ってくださいました。かつて戸田先生が、『学会は創立以来、七年ごとに大きな前進の節を刻んできた』と話されたことを確認されて、この年が、『第五の鐘』を鳴らす時であると訴えられたのであります。
それによって私たちは悲しみを乗り越え、『第七の鐘』が鳴り終わる一九七九年(同五十四年)を目標に、未来に希望を仰ぎ見ながら、新しい出発をいたしました。
今、その『七つの鐘』が、いよいよ鳴り終わる時を迎えようとしているのであります。今後は、明一九八〇年(同五十五年)から五年ごとのリズムで広宣流布の歩みを進め、さらに二十一世紀から、再び新しい『七つの鐘』を鳴らし、前進していく構想を、先生は既に発表してくださっております。
山本先生は、会長就任以来、広宣流布の流れを渓流から大河へ、大河から大海へと、大きく発展させながら、時代に即応できるよう、さまざまな改革に着手してこられました。運営面での民主的な下意上達の組織づくりをされ、合議制も深く根差してまいりました。七四年(同四十九年)には代表役員を会長から理事長にするよう推進されました」
伸一は、未来のために新しい体制づくりを進めてきた。時代即応の適切な布石がなされてこそ、創価学会の永遠の栄えがあるからだ。