池田先生ご指導

過去世に謗法のないものが折伏に行くと、反対した相手に、すぐ罰が出る。謗法したものは、折伏しても、相手になかなか罰が出ない。しかし、反対され、悪口を言われて、自分の謗法の罪が消えるのである。

スポンサーリンク

初信の功徳は、山へ登ることであり、成仏は、それよりも高い山へ登のであって、これは世法のご利益を得るのではない。
低い山から最高の山へ登る中間には、かならず谷があり、この谷に、みなさんは迷う。これこそ鬼子母神、十羅刹、魔王の試練で、初信の者は、これに驚き負けてしまう。この第六天の魔王の試練の罰に負けてはならない。谷へ落ちたとき、これでなるものかと、最高の山へ登るためにいちど谷へ落ちたことを信じ。よくよく小山より大山へ登る谷へ、考えをいたさなければならない。
これこそ、三障四魔が紛然として競い起こったのであり、初信の功徳に酔うべきではなく、谷間への信心であることを深く考えて、毎日の信心を怠ってはならない。


過去世に謗法のないものが折伏に行くと、反対した相手に、すぐ罰が出る。謗法したものは、折伏しても、相手になかなか罰が出ない。しかし、反対され、悪口を言われて、自分の謗法の罪が消えるのである。
つぎに、入信するときも、謗法のなかったものは、すぐに入る。謗法のあるものは、その程度によって、入信まで日数がかかる。法力・仏力を示すために、初信の功徳が現れるが、その後がたいへんなのである。過去に謗法のなかったものは、その調子でずんずん良くなる。反対に、謗法のあったものは、それを消すために、いろいろな事件が起こる、このときこそ大切なときなのである。
この魔に負けたら、成仏できないのである。
四魔のなかで天子魔というのは、信仰をやめなければならぬようにするのである。このときが、大利益を得るか、いなかのせとぎわなのいである。
このことは、ふだんこうして話しているときはわかるが、いざ、自分が問題につき当たったときは忘れてしまう。


 

  1. アバター画像 匿名 より:

    ありがとうございます。眼から仏の境涯を心で読み熱く沸騰の信心の持続を熱く々々々確信 そして この財宝を必ずや 初代 二代 三代の師匠 仏の使いを命から お手伝いを