池田先生ご指導

みな、日蓮大聖人の命を受け、広宣流布する役目をもって生まれてきたということが宿習なのです。

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日蓮大聖人門下の、南無妙法蓮華経と唱え奉る者はこれ以上はないという宝の集まりを求めることなく、自ずから得た長者なのである。
ゆえに、この大法を持った皆さま方は、すでにどんな大富豪よりも豊かな「生命の大長者」なのである。
この世のいかなる富も死後まで持っていくことはできない。しかし「生命の大長者」は
、宇宙大の財宝を自由に使いながら、永遠に「幸」の旅行をしていける。それが人生の勝利者の証なのである。福運を積むために、労苦の仏道修行はある。しかし、福運は、積まれると、あふれるように出てくるものである。

それは、いったん宝の箱を開けることができれば、そこから無量の宝物を取り出せることにも似ている。
ゆえに絶対退転してはならない。魔に負けてはならない。それは「仏種」という「福徳のなる木」を失い、自ら破壊することになる。


「みな、日蓮大聖人の命を受け、広宣流布する役目をもって生まれてきたということが宿習なのです。
それが分かるか分からないかが問題です。
そういう人生をよく見つめ、自分観、人生観、社会観、宇宙観、この四つをきちっとまとめているのが仏法なのです。
自分はなんのために生まれてきたのか。どのような使命をもっているのか。またどう生きればいいのか。人生の真実の幸福は何なのか。それを人間は知らなくてはならない。
更に、社会のためにどう尽くしていくか、あるいは、どうすれば大宇宙のリズムに合致し永遠の世界に生きていくことができるか、これらを明確に把握しておかなければならない。それらのことを誤りなく教え、自分のものとしていけるのが仏法である。