世の中には、不幸から不幸へと流転しゆくだけの人生もある。懸命に生き、努力しても一向に報われない人もいる。
しかし、妙法は、根本的な幸福への転換を可能にする大法である。
御本尊に唱題する私どもにとっては絶対に冬ばかりが続くことはあり得ない。
必ずや苦悩の氷を溶かす希望の春がやってくる。
私どもが信仰の実践として日々唱えている「南無妙法蓮華経」のうち「南無」とは「帰命」すなわち、自らの生命を大法に帰していくことです。
また、「妙法蓮華経」の「妙」とは頭であり、「法」はのど、「蓮」は胸、「華」は腹、「経」は足であると説きます。思考も、言語活動も、感情も、肉体の活動、行動も、すべてが一体であり、連関しあっている。
一人の人間は、このように根本の法に連なる全体的な存在です。生命は本来、決して、バラバラの部分に分解できるものではない。
信心の大学を立派に卒業すれば、すなわち自らの仏界の「我」を磐石に鍛えあげた生命は、自分の未来を一念通りに自由自在に決めることができる。
そして、生まれたい時に、生まれたいところに、生まれたい姿で誕生してくることができる、と仏法は説かれている。