ある日、農業を営む壮年が「幸せになれそうもありません」と打ち明けた。対話に歩いても歩いても、誰一人として聞いてくれないという。戸田先生は語った。
「折伏ということは、難事中の難事だと大聖人もおっしゃっている。生命力を強くして、焦らず、弛まず、やらなければならない仏道修行なんです。3カ月で落胆するようでは、生涯にわたる信仰者の態度とはいえない。しかし、あなたは、もうすでに折伏を実践しているではないか。それだけでも大したことなんです」
だが壮年は、うなだれたままだった。長年、出自による、いわれなき差別を受けていたのである。壮年が苦悩を明かすと、戸田先生は抱きかかえるように励ました。
「世間が、どんなにあなたを迫害しようが、創価学会には、そんな差別は絶対にありません。戸田は、あなたの最大の味方です。また困ったことがあったら、いつでも私のところに来なさい」
苦悩や経済苦、子どもの非行など、悩みは千差万別であった。時には、学会のリーダーの姿もあった。戸田先生は、どんな人であれ悩みがあって当然だと、大きく包容した。
戸田先生自身、幾多の辛酸をなめてきた。24歳の時には、生後7か月の長女を亡くした。
そのつらさを知る先生は、子どもを亡くした東北の同志に手紙を送り、「可愛さのため死んだ子を夫婦で抱いて寝た時の悲しみと苦しみは、今なお胸の中に生きている。さぞ君も悲しかろう。ことに奥様の心を思えば、なんとなぐさめて上げてよいのか解らない」と、深く寄り添っている。