池田先生ご指導

…すなわち、世間的な見方からはどんなに地獄の重苦のように思えても、信心の目から見れば、実は護法の功徳力によって未来の大苦を招き寄せ、今生の少苦として軽く受けているのである。

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三類の強敵の出現は、これで必ず成仏できるという証なのである。
「どうして難が来て安楽なのだろう」と疑問に思うかもしれない。しかし実は「難」と戦い、乗り越えてこそ、宿命転換があり、成仏がある。例えていえば、悪い宿業という「ガン」の病巣を、根本的に取り除いてしまうようなものと言えようか。
その時は苦しくとも、一気に仏の大境涯を開ける。
「今こそ、仏になれるチャンスである」「最高にありがたい時なのである」


…すなわち、世間的な見方からはどんなに地獄の重苦のように思えても、信心の目から見れば、実は護法の功徳力によって未来の大苦を招き寄せ、今生の少苦として軽く受けているのである。
言い換えればいかなる難も、いかなる宿業も、三世にわたる仏法の智恵の眼に照らせば、それを乗り越えることによって成仏は疑いがないゆえに、偉大な功徳といえるのである。
「御本尊への唱題行とは、宇宙に厳然と存在する仏界のリズムとを合致させ、我が身の上に仏界の力用を顕すための生命の調律。」