池田先生ご指導

信心の厚薄により、また信心が強いか、弱いかによって、幸、不幸が現れてくるのです。

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せっかく信心しているのに〝怨嫉〟してはいないだろうか。環境に負けてはいないか。マンネリズムに陥ってはいないか。魔を見破れないでいることはないだろうか等々、健康診断ならぬ〝信仰診断〟というものが、人間はときどき必要ではないか。


大切なことは、信心の指導をするのであって現象面のみに目を奪われて、解決方法のみに終始してはならないというのです。「体曲がれば影ななめなり」ですから、信心の姿勢をきちんと正していくことが肝心なのです。信心が体で、困っているものは影なのです。


御本尊様は衆生を幸せにすることが眼目であり、その人のプラスにならない願いというものは、あえて叶わせない。


南無妙法蓮華経とは、生命を変化させる大元である。われわれが南無妙法蓮華経と唱えることは、その変化させる大元を、自分の生命の中に取り入れることになるのである。
したがって、自分の望む方向に物事が変化していって、願いが叶うのは、むしろ当然のことなのである。ただし、本当は、取り入れるのではなくて、「所詮日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは、併ら護念の体を開くなり」とあるように、われわれの生命自体が、本来、南無妙法蓮華経の当体なのである。


信心の厚薄により、また信心が強いか、弱いかによって、幸、不幸が現れてくるのです。