聖教新聞ななめ読み

いかに観念的に、仏法を理解しようとしても、仏法の神髄が、決して会得できるものではない。題目を唱え、逆境を切り開き、力強い人生を歩むとき、生活、生命の上に厳然と功徳が湧き、証得できるのである。

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いかに観念的に、仏法を理解しようとしても、仏法の神髄が、決して会得できるものではない。題目を唱え、逆境を切り開き、力強い人生を歩むとき、生活、生命の上に厳然と功徳が湧き、証得できるのである。そこに大御本尊の威力、大聖人の仏法の偉大さを、しみじみと自覚できるものである。遠く、釈迦時代に「智慧第一」といわれた舎利 すら「以信得入」といって、信をもって成仏した。信心、実践なき者に、仏法がわかろうはずがないのである。