「聖教新聞ななめ読み」
2018年4月27日~ 聖教ニュースより2
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ちょうどその頃、池田先生が「大白蓮華」の巻頭言で、戸田先生の次の言葉を紹介されました。「子どもの将来は、今の姿だけではわからない。こちらの信心で変わる。必ず向上の軌道に乗る。困らせる子どもは、自分を仏にしてくれるのだ」
祈りを深める中で、“この子は使命の子。このままの姿で尊い”と思えるようになり、“絶対に大丈夫”との確信に変わりました。
不登校から9カ月。一緒に題目をあげていた息子が突然、こう言うのです。「明日から学校に行くよ!」
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報恩感謝の思いで、師匠とともに前進する模範の地域を築こう
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異体同心の団結で拡大に走り、地域に幸福のスクラムを大きく広げていこう
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同志の話に、とことん耳を傾ける。共に悩み、共に祈って、池田先生の指導や御書を学び合う。これ以外にありません」
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「妙法を持った人には、不幸など絶対にありません。世界中の同志の体験が、この仏法の厳たる力を証明しています」
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「日蓮仏法は、生命尊厳の哲理です。確かな幸福勝利の法則です。そして、偉大な平和創造の光明であります」
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「題目で自分を変革できました。この信心は、すごいですよ!」
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「学会に“功徳”はあっても、“孤独”はありません」
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「題目を唱えれば人生と向き合える」
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「この滝にかかる虹も、一たび流れが途絶えれば、瞬時に消え失せてしまう。人生の希望の虹も、広布への躍動の前進があってこそ輝く」
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「一人一人が信心で立ち上がるまで関わり続ける。これが広布前進の要です」
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「苦労も多い時ですが、悩みがあるから成長できるし、人の痛みに寄り添えます。信心の喜びをありのままに伝え、友情を広げていきましょう」
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1960年(昭和35年)7月16日。第3代会長就任から間もないこの日、池田先生は沖縄を初訪問した。
後に先生は、振り返った。「恩師の形見の懐中時計を携帯し、平和への深き祈りを込めて、復帰前の沖縄の土を踏んだ」と。
池田先生は常々、“私の心の中には、いつも戸田先生がおられる”“毎日、胸中の戸田先生と対話しながら前進している”と語る。
永遠に師弟不二で行動を起こし、時を刻みゆく――これが世界広布の大道を開く根幹の精神にほかならない。
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「“励ましの拡大”がなければ、弘教や人材の拡大もない」
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“この瞬間は二度と来ない”――その強い思いが、同志に掛ける言葉ににじみ出ていた。
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また夫と娘を亡くした多宝会の友は「さみしくなる時もあります。でも池田先生の励ましがあるから“心は家族と一緒”と思えます」と。またある友は「祈り続ける中で“どんな悩みも乗り越えてみせる”と心が強くなります」と話した。
遠藤総県婦人部長は学生時代に入会して以来の自身の歩みを紹介。「皆が自分らしく輝けるのが、この仏法です」と実感を語った。
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常住御本尊には「大法弘通慈折広宣流布大願成就」としたためられている。戸田先生は“学会は「生命は永遠であり、われわれこそ、末法に七文字の法華経を流布すべき御本仏の眷属なり」との自覚を生じて、牧口先生が口癖に言われていた発迹顕本をなした。この確信において、広宣流布大願の曼荼羅の奉戴の式が営まれた”と述べた。
この御本尊に題目の大音声を轟かせ、戸田先生は、自身の願業であった75万世帯の弘教を成就。そして、一切の後事を受け継いだ池田大作先生もまた、常にこの御本尊の前で世界広布の指揮を執り、日蓮仏法は今や192カ国・地域にまで広がったのである。
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