信仰の目的は何か。境涯を変えることです。
花を見る。ぱっと詩ができる人もいる。「山路来て 何やらゆかし すみれ草」。芭蕉なら、そう詠める。詩を詠まないまでも、心を花で埋めて楽しめる境涯の人がいる。
一輪の花ーー 寂しそうだ。だれかを思い出す。そうだ、あの人はどうしているか。元気だろうか。連絡してみよう。そういう菩薩の境涯の人もいる。花を見ても、月を見ても、何にも感じない人もいる。心が石みたいになっている(笑)。
ベートーヴエンが交響曲「田園」をつくった。もう、かなり耳は聴えなくなっている。しかし心の中には「田園」の鳥の声がさえずっている。小川のせせらぎが聴こえて田舎の人々の楽しい集いの声が聴こえている。激しい嵐の音も、嵐のあとの、さわやかな自然のたたずまいも、全部、ベート-ヴエンの「己心の中」にある。己心中の大自然を、彼は人類に伝えたのです。
耳が聴こえなくても、仏法を知らなくても、それだけの境涯があった。いわんや、妙法を行じる人が、己心の宇宙を大きく広げられないわけがない。「妙」には「開く」という意義がある。広々とした己心の宝の世界を開くための信心です。何があっても楽しんでいける境涯をつくるのです。
田園 電話の待ち受け音楽、選んでた時軽やかで、リズミカルで体が自然に踊る、電話を受けるときはいつも楽しく聞いています、想像しても目が見えなくて、耳が聞こえない人が作れる曲だとは今の今まで気が付きませんでした、池田先生のご指導を読んで初めて知りましたベートーヴェンはいつも宇宙の園を自在に優雅に舞って生きているように感じました
第九といい 凄い人です