池田先生ご指導

創価学会においては、「身分としての聖職者」は存在しない。教義の研鑽はもちろん、布教も儀式の執行も、社会に根差した在家者である会員が一切を担っている。

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「如是我聞」の心とは「師弟不二」の心です。それが仏法伝持の極意です。一切衆生を救おうとする仏の一念と、その教えを体得し広めようとする弟子の一念が、響き合う「師弟不二」のドラマ―­­それが「如是我聞」の一句に結晶しているのです。


戸田先生は、法華経を、仏法を、人間の現実とかけ離れた架空の話や、観念論にはさせたくなかった。また絶対にそうではないという確信があった。生命の法であり、己心の法であることを知っておられたのです。


創価学会においては、「身分としての聖職者」は存在しない。教義の研鑽はもちろん、布教も儀式の執行も、社会に根差した在家者である会員が一切を担っている。民衆が担う宗教です。牧口初代会長は「信者ではなく行者であれ」と叫ばれたが、その通りの行動をしています。


DNAに関して大事な視点は、生命それ自体がDNAをつくっていったのであって、DNAが生命をつくったのではないということです。大宇宙即生命であり、生命即大宇宙です。生命それ自体が作者であり、しかも、作品なのです。


それはどこまでも「自分自身が仏である」という心理への旅である。人生とは、自分自身への永遠なる旅なのです。」