池田先生ご指導

君が純粋であればあるだけ、誤解と攻撃が、山とのしかかることもある。 心に合わない仕事をしなければならないこともある。 しかし、意のままにならないからこそ、修行なのだ。

スポンサーリンク

命あるかぎりーいな、命の力が萎えようとする時でさえ、 新しい生命力を、空から、雲から、大地から、 樹々から吸い取ってでも生きねばならぬ。 志を遂げねばならぬ。栄誉もいらぬ。理解もいらぬ。 ただ己の「ひとすじの道」に、かじりついて、 ぶざまなまでに悪戦苦闘を重ね重ねて、 20年、30年、40年を貫き通していく。 それこそが「勇気」ではないか。 若き君よ、理想の華を散らせてはならぬ。 生あるかぎり「もう、これまでだ」などと言うな。 少しくらいの苦労で
「人間とは、世間とは、こんなもんだ」などというな。 君が純粋であればあるだけ、誤解と攻撃が、山とのしかかることもある。 心に合わない仕事をしなければならないこともある。 しかし、意のままにならないからこそ、修行なのだ。 そこで奮闘してこそ、 「苦を転じて楽となし、敗北を転じて勝利となす」 痛快さも味わえるのだ。 安穏は魂を殺し、順調は魂を殺し、自己満足は魂を殺す。 心から血を流したことのない人間が、どれほど、つまらないか。 どん底を見たことのない人生がどれほど味気ないか。 つまずき、立ち上がるたびに、本当の人生を学べるのだ。 耐えて生きている人の心もわかるのだ。 踏んだり、蹴られたりしなければ、精神がふやけてしまう。
強い人間は、不幸さえも楽しんでいけるのだ。