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恐れもなければ、グチも嘆きもない。晴れやかな「強気の信心」でいくのです。そこにこそ妙法の無限の功力が噴出してくる。同じ御本尊を拝んでいても、こちらの信心が弱ければ込み上げてくる真の大歓喜は味わえない。信心次第で功徳が違ってくる。
今世で成仏すれば仏の境涯は永遠に続く。生まれる度に健康で裕福で頭も良く福運に満ちた人生となる。自分の使命にふさわしい姿で生まれてくる。それが永遠に続く。もう二度と壊れない。そのために今世で仏界を固めなさい、というのである。大聖人がそう言っておられるのである
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広宣流布に生きる時、胸中の久遠の太陽が 輝き、過去の罪障は露のように消え失せ、大歓喜と幸福の悠々たる人生が開かれていくんです。
「心一つで変わる」。 それは人生の不思議です。しかし紛れもない真実です。大聖人は「一心の妙用」と仰せです。わが胸の「一心」という根本のエンジンが動き出せば、ただちに三千諸法の歯車も動き出す。全部変わっていく。希望の方向へと動かしていけるのです。
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「勇んで広宣流布に生涯を捧げる覚悟を定める時、わが生命は、御本仏である日蓮大聖人に連なり、何ものをも恐れぬ大力が涌現し、仏の大歓喜の生命が脈打つのである」<
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戸田先生は、御本尊を拝んで大歓喜がわかなくては真の信仰とはいえない、とまで言われました。歓喜があれば功徳の大輪は、ますます大きくなる。しかし、こればかりはそれ、歓喜、歓喜などと言っているだけでは、歓喜はでてこない。勤行で足がしびれて、まだ終わらないか、ああ、歓喜、歓喜、それでは歓喜になりません、とも語られていた。
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歓喜の奔流!これこそ妙法を行じる私どもが味わえる人生の醍醐味である。この仏法の真髄から見れば、人がどうであろうと浅薄な世間の眼がクルクル変ろうと、すべては幻の如くはかない。またそれらに紛動されて、自らが歓喜を味わえるわけでも絶対ない。
我が胸中にはくめども尽きぬ永遠の歓喜の泉がある! 何ものにも崩されぬ、信心という大歓喜の源泉がある!
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学会の世界は信心の大歓喜が爆発する集いにするのだ!
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題目は、苦悩を歓喜に変えます。さらに、歓喜を大歓喜に変えます。 ゆえに、嬉しい時も、悲しい時も、善きにつけ、悪しきにつけ、何があっても、ただひたすら、題目を唱え抜いていくことです。これが幸福の直道です。
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