また、勤行の姿勢が、その人の生き方に表れます。弱々しい勤行の人は、生命力も乏しく、どうしても、弱々しい生き方になっていくし、義務的な勤行であれば、信心の歓喜はなかなか得られません。お互いに、白馬が天空を駆けるような、リズム感あふれる、すがすがしい勤行をしていきましょう。そして、真剣な祈りをこめ、大宇宙をも動かしゆくような、力強い、最高の勤行を、日々、目指していこうではありませんか。
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しかし、こればかりはそれ、歓喜、歓喜などと言っているだけでは、歓喜はでてこない。勤行で足がしびれて、まだ終わらないか、ああ、歓喜、歓喜、それでは歓喜になりません、とも語られていた。勇んでなすのが信心です。真剣に戦っていればこそ心が弾む。仏法に悲壮感はありません。正義は楽しです。
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御本尊に唱題することが楽しい、友に仏法を語ることが楽しいとなればいい。勤行が苦しくて苦しくてというのではダメです。御本尊が慕わしくならなければ信心はウソです。