誰でも「完成された性格」などありえない。万人が一人も残らず、何らかの宿業によって、未完成の人間です。困った性格も当然ある。 しかし、それにとらわれ、自分を嫌ったり、卑下したり、進歩を自分で妨げるのは愚かです。
人生は、宿命との容赦なき闘争といえる。愛する人を失うこともあれば、自らが病に倒れることもある。あるいは、家庭の不和、子どもの非行、失業、倒産、生活苦。これでもか、これでもかというほど怒濤のごとく、苦難は襲いかかってくる。 だからこそ、信心なのだ。
広宣流布を誓願し、唱題に励む時、自身の胸中に、地涌の菩薩の大生命が涌現し、日蓮大聖人の御命が脈動して、己心の仏界が開かれるのである。 そこに、境涯革命があり、宿命の劇的な転換も可能になるのだ。