聖教ニュース

7月3日は戸田先生の出獄日であり池田先生の入獄日

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 一九四五年の七月三日、午後七時――。恩師・戸田先生は出獄された。
 権力によって、非道にも、侮辱され、獄死させられた師・牧口先生の「正義」を、「真実」を、「偉大さ」を証明せんがために、ただ一人、奮然と戦いを開始されたのである。
 その十二年後の七月三日、午後七時――。私は、無実の罪で入獄した。恩師・戸田先生を、一人、厳然と、お守りするために。また、けなげなる関西の同志を守りぬくために。
 「師弟の道」に徹する限り、何の迷いもない。何の惑いもない。何の恐れもない。(中略)
 「獅子は伴侶を求めず」――「七月三日」から、新たな広布の闘争の火蓋を切られた戸田先生は、だれも頼らなかった。
 体は極度に衰弱。事業は完全に破綻。戦前の学会員の消息は、ほとんど不明。最悪の状況のなかで、戸田先生は、自分自身が強盛に「祈る」ことから出発されたのである。
 御書には仰せである。
 『何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり』(呵責謗法滅罪抄、1132頁)
 ――どのような世の乱れにも、あなた方お一人お一人のことを、法華経よ、十羅刹女よ、助けたまえと、湿った木からも火を出し、乾いた土からも水を得ようとするごとく強盛に祈っています――。
 これが、流罪の地・佐渡にあって、門下を厳然と守りゆかれる大聖人の「祈り」であられた。
 人ではない。自分である。広布のリーダーは、まず自らが祈ることである。
 人を動かすのではない。自分自身がエンジンとなって、回転していくのである。そこに、すべての勝利の原動力がある。
 とくに青年は、求めて自らを鍛えなければならない。若い時からお金もある、何の苦労もない――では人物はできない。民衆を守る偉大な指導者になれるわけがない。
 苦労に苦労に苦労を重ねて、何があろうとも微動だにしない王者の自分自身を築きあげていただきたい。


 出獄と
   入獄の日に
      師弟あり

 七月の
   三日忘れじ
      富士仰ぐ

 関西をはじめ、苦楽を共にしてくださった全国の同志の皆様、必ず恩返しをするのだと決意して、私は戦い、そして勝った。
 嵐の時こそ、同志愛が光る。師弟不二の魂が燃え上がる。
 御聖訓には仰せである。
 「難来るを以て安楽と意得可きなり」(御義口伝上、750頁、編1596頁)
 人生の逆境にあって、断じて信心だけは一歩たりとも引かない。そこに、最高の信頼と栄光が築かれる。必ずや、永遠の誉れと功徳が輝く。
 一番、苦しい日々が、一番の思い出になる。一番の宝の日々なのだ。苦難と戦う中にこそ、大いなる希望の夜明けは来る。